曽野綾子が産経新聞で「欧米の反『PC』潮流」を皮肉り、
「おきれいごと」に愛想尽かした民衆、という文章を
書いていて笑った。
ならば「保育園落ちた、日本死ね」だって、愛国者の
「おきれいごと」を破壊する本音ではないか!
保育園が見つからなければ働けない、働けなければ食って
いけない、追い詰められた子を持つ母の悲鳴が「日本死ね」
である。
言葉狩りすれば愛国心が育つわけではない。
「日本死ね」は下品だと「おきれいごと」を言ったところで
少子化は進む一方だ。
結局、愛国心があるのは「日本死ね」と絶叫する子育て中の
母親にあるのであって、「日本死ね」は許さぬという
「言葉狩り」する連中にはない。
曽野綾子も「日本死ね」を批判していたが、自称保守や政権は、
女性活躍社会と言ってみたり、専業主婦が伝統だと言ってみたり、
何が少子化を食い止める政策であり、言葉なのか、真面目に
考えてみたことがないのだろう。
「おきれいごと」はリベラルの専売特許でもない。
自称保守、自称愛国者の専売特許でもあることに気づけ!